盛り上がるAnoterBBC
次の舞台は、炭鉄港200
2024年7月20日、岩見沢を起点とするブルべ炭鉄港200に参加してきました。これには知り合いのブロンプトン乗りの人が初参加するということもあり、私も一緒に走ってみようと考えて申し込んでいました。
そうすると、宗谷600の翌週ということもあり、OTさんやKMさんなどが次々と申し込み、これまで一緒に走ってきた仲間たちが一堂に会するブルべになりそうでした。
岩見沢に自走で向かう
当日、午前2時30分、私はけだるさを感じながら目覚ましの音で何とか起きました。
前日まで関東に3週間ほど出張していたため、その荷ほどきやブルべの準備でとても前泊する余裕がなかったこともあり、当日に自走で岩見沢駅に向かうという選択をしていたのでした。その距離30キロ強。
準備していた荷物と自転車を展開し、出発します。北海道の日の出は早いので空はだんだんと明るくなっていました。
朝の比較的涼しいサイクリングロードから、国道へ。夜の街が終わり、昼間の街が動き出すのを肌で感じながら岩見沢に飛ばしていきます。
途中、幌向のあたりで8段電動変速魔改造ブロンプトンことKMさんに追い抜かれていきました。こちらは時速25㎞程、でKMさんは30㎞弱くらいの速度だったでしょうか。歩くくらいの速度でだんだんと離れていってしまいました。さすが、宗谷600を走り切ったKMさんです。
貨物列車と始発電車が動き出す頃、私は岩見沢駅に到着しました。
集う8台のBROMPTON!
せいぜい5台ほどだろうと思っていたブロンプトンは、結果から言うと10台程おりました。うち8台が出走です。
昨年の薄野200(BBC本番)は13台が出走し走り切りました。それもまた壮観でしたが、まさか薄野以外でここまで集まるとは予想外の波が巻き起こっているのを実感しました。
初参加は2人
特筆すべきは初参加が2人いたことでしょうか。他の人は薄野200だったり他のブルべで脚を慣らしている経験者ですが、どうも今年の日高門別以降からの各地でのブロンプトンの活躍などで火が付き、炭鉄港に申し込んだようでした。
一人はKさんで、そもそも炭鉄港遺産が興味があり、このブルべを知ったときには「時間外でも完走する」という意気込みでした。
もうひとりはTさんで通勤で毎日ブロンプトンに乗っているという人でした。実は8月のニセコハナゾノヒルクライムでも活躍されるのですが…それは別の記事で。
とにかく、ブロンプトンでブルべに出る人たちのコミュニティが拡がるのはよいことです。
最後尾のエスコート~通過チェック1(月形樺戸博物館)
つつがなく全員が受付を済ませ、スタートしていきました。
私はKさんの後ろをゆっくりついていくことにしていました。初めてのブルべということで分からないことも多いでしょうし、トラブルの時は助けて完走しようと考えていました。
しかし、後にこれは杞憂であることを知るのです。
追い風に乗って快走
この日の空知地方は南からの穏やかな風が吹いていました。そのため、前半戦は追い風、後半戦は向かい風になる予想です。
最初の通過チェックポイントの月形樺戸博物館までは順調に進んでいきました。
ただ一点、私のサイクルコンピュータ(Bryton 420)は、アプリが外部サービスとの連携時にルート情報が数百メートルずれるという症状が発生し、速度計としてしか機能しなくなっていたことを除けばでしょうか。
行き過ぎて、博物館
キューシートを見て進んではいましたが、博物館を見落として300m程進んだところでMさんに声を掛けました。同じく折り返してくるランドヌ達が少なくなく、全員が通り過ぎていたとのことでした。
ここは旧樺戸集治監。北海道で最初に、全国でも3番目に置かれた集治監で、網走監獄の展示の中でも紹介されていた場所だと思い出した。
この現存する建物は事務所として使われていたとのことで、北海道開拓の歴史を今に伝える施設でした。
思い出の札沼線を走る~PC1(セブン・イレブン滝川滝新通り点)
2020年8月初めての北海道旅行の思い出
博物館からしばらくは田園風景の中を走りましたが、しばらく行くと国道275号に合流します。
275号は国鉄札沼線と並走する区間であり、最近だと2020年に新十津川から北海道医療大学までの区間が廃線になっていました。
当時私は新型感染症で外出すらできない環境下でテレビで最終列車の中継を見ていました。失われていく鉄路への憧れから8月の休暇では北海道の廃線跡、休止区間を自転車で回った、思い出の区間です。
あの頃はDahon Dash P8にキャリアをつけてドッペルギャンガーの安いサイドバックを装備し…それでも1日100㎞も走ればくたくたになっていました。
あれから4年、私は今数百キロのブルべに参加しているわけですから感無量です。
しかし気温が上がり始めた
42㎞程走り、道の駅つるぬまでトイレ休憩にしましたが、このころになると雲がだんだんと薄くなり太陽が地面を焼き始めていました。気温は急速に上がっていきます。
自動販売機で冷たいスポーツ飲料を飲み、先に進みます。休憩中に追い抜いて行ったKさんは想像以上に早く進んでおり、滝川市街に入るまでは追いつきませんでした。
滝川市街に入ってほどなく、PC1のセブンイレブンに到着します。
まだ55㎞程なのでそこまで前後がばらけておらず、多くのランドヌたちが休憩していました。
既に気温は25度を突破していたと思います。アイスクリームとおにぎりを食べてKさんと出発していきました。
初参加の二人はどちらもかなりの健脚でTさんに至ってはトップ集団に交じって走っているようでした。私やKさんも遅すぎるというペースではなかったのでこの時点ではまだ余裕がありました。
炭鉄港遺産をめぐる~赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設~通過チェック2(炭山川橋展望広場)
立ち並ぶ巨大構造物が見えてきた!
滝川から芦別へと根室線沿いに走っていくと、明らかに巨大な塔が見えてきた。自動車で何度か通ったことはあったが気が付いていなかったものだった。どうも廃坑ばかりではなく現行の設備もあるらしい。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設に立ち寄る
しばらく走っているとKさんから「立ち寄りますか?」と提案がありました。今回のブルべのテーマである「炭鉄港遺産」に関して「炭鉄港カード」を各スポットで配っているのですが、ちょうど開場時間の施設があるということでした。
ズリ山の貨車への積み込み施設を過ぎると、巨大な機械が展示された場所に到着した。
赤平氏炭鉱遺産ガイダンス施設だった。私も足尾銅山の見学は何度か行っていたが、ここもまた大きな機械の展示のあるよい施設というのが入口からでもよくわかります。
残念ながらじっくりと見て回る時間はないので、カードだけもらって先に進みます。また今度来るからね!
日陰のない道路
芦別の市街地に近づいてはいました。
次の通過チェックは87㎞地点で折り返すので、早いグループとはすれ違い区間を走ることになりました。
ロードのグループに交じってKMさんの台湾ブロンプトン、そしてTさんが続きます。この時点でTさんの脚力が段違いだということがわかりました。
続々と参加者と手を振りあい、士気がお互いに高揚します。
余裕の無い中、単独行に
しかしながら滝川から芦別まで日が高いこともあり、全くと言っていいほど日陰の道がありませんでした。
このあたりでKさんには「先に行ってほしい」と伝えられたので先行することにしました。
時刻はまだ10時を回ったくらいなのに気温は30度を越えつつあったと感じていました。それでもとりあえずは通過チェックまで走ろうと急ぎました。
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁
通過チェック2「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」は上芦別を少し山の手に登ったところにありました。炭鉱のために作られた私鉄の跡地で、巨大な橋梁が文化財に指定されていますが、その上に機関車と貨車が連結されているのが特徴です。
北海道の鉄道というのは大抵が石炭、鉄鉱石、木材を輸送するために整備されたものです。時代は巡り多くの鉄道は廃線となってしまいましたし、人口も減ってしまいました。
放置されれば痕跡なく山川に戻ってしまうものを保存してしのぶというのは必要なことだと感じました。
木陰だったこともあり、飲み物と食べ物を流し込み、出発しました。
走り出してしばらく下るとKさんとすれ違いました。食事をしていたとのこと。まだ元気そうな姿に安心して私は芦別市街に戻りました。
灼熱の旅路~通過チェック3(旧三井砂川炭鉱中央立坑櫓)
ラーメンをたべよう!
時間は11時を回ったとしているところでした。
これまでの経験則から、食事をしっかりととれないとハンガーノック(2023薄野200)やDNF(積丹400)になるのは目に見えていました。また、この暑さです。汗の量が自分でもわかるくらいに出ていたので、ラーメンを食べることにしました。
経路上にあったまるとみ食堂さんに入ります。既に思考能力は落ち始めており、名物のジンギスカンラーメンがあったのに通常の醤油ラーメンを頼みました。
クーラーの冷風を浴びながら飲む氷水がおいしい…。ほどなくしてラーメンが届きました。
蓮華で何杯もスープをすすり、食べ終わるころには明らかに元気になっていました。
ランドヌたちの中には補給は全部ラーメンという人もいるくらいです。先人の知恵に助けられました。
休憩を繰り返しながら進む
ラーメン屋を出て、赤平まで戻ってくるとちょうど100㎞地点です。ここから歌志内・砂川方面に山道を抜けていきます。
太陽は丁度真南にあり、道もほぼ南に延びていますからやはり日陰は殆どありません。じわりじわりと登りますが滝のような汗です。
ひとつ目の峠を下ったところでセイコーマートがあったので休憩すると、後ろにいたロードバイクのグループが抜いていきました。
彼らは「余裕のギリギリ隊」です。どうも先ほどから「炭鉄港カード」を集めながら移動しているようでした。
無重力実験センター
それは立坑の構造物のようでどうも違いました。通過チェック3の無重力実験センターです。
良質な炭鉱ほど縦に掘る必要があるとのことで、自由落下させたカプセルを用いた無重力実験に使われているとのことでした。
後に調べたところ、落下高710m、真空のパイプの中を自由落下に加えて圧縮空気によるジェットで加速させ末端速度360km、10秒間の無重力空間を作り出す、というとんでもない装置でした。
残念ながら現在は閉鎖され、隣接する博物館が展示を行っているようです。また来たい場所でした。
灼熱の旅路~通過チェック4(沼東中学校跡地記念碑)
ゾンビのように走る
上砂川から歌志内へ、本ブルべの最大の坂道を越えていきます。先ほど補給したにもかかわらずこの日の最高気温と直射日光が、一気に筋力を奪います。
平均速度が10㎞/hを割りはじめます。まだ80㎞近くあるのに、あと6時間ほどしかありません。
DNFか?_
その可能性が頭をよぎります。後ろにいるはずのKさんも追いついてくる気配はないですし、少し弱気になりました。
懸命に踏んでもパワーが出ません。他のブロガーさんが「ゾンビ走」と称していた現象が私の体にも起こっているのを実感していました。
止まったら、終わりだ。そう思いながら、いよいよ空知平野の東の淵に出てしまい、直射日光と変わらぬ南風に苦しみながら、補給のできそうな美唄のコンビニまで粘るのでした。
美唄鉄道が夢の跡
141㎞地点、セイコーマート美唄東5条店に着いたのは15時半頃だったと思います。保冷ボトルの中身は空っぽ、外にぶら下げているペットボトルの水は温水に変わっていました。
食欲は幸運なことにあったのでおにぎりと塩タブレットをねじ込み、麦茶を保冷ボトルに入れ、さらにスポーツ飲料を買いました。
他のランドヌたちもつらそうに日陰で補給を済ませていました。
出発し道道135を進みます。次の通過チェックは美唄焼き鳥の発祥の地「我路」です。10㎞ほど奥に進むことになりますが、道道のすぐ脇に草生したサイクリングロードもとい廃線跡があることに気づきました。
美唄鉄道です。他の北海道の鉄道の類にもれず、石炭の輸送のために引かれ、栄え、美唄やきとりの文化をはぐくみ、そして炭鉱の閉山と共に消えていったのでしょう。
廃線跡はサイクリングロードとして整備されたようですが、一部区間については手入れが行き届いておらず、「二度目の廃線」を経験してしまっているという悲しい現状を見てしまいました。
Kさんとすれ違う!ナンデェェェ!
この区間は往復20㎞のすれ違い区間でした。他のブロンプトン隊は先行してもういないだろうと思ったら、意外なことに全員とすれ違いました。
この灼熱に苦しんでいたのは自分だけではなかったようです。お互いの無事を喜びながらすれ違いました。
しばらくするとまたブロンプトンが1台やってきます。誰だろうと思ったら、なんと後ろにいると思い込んでいたKさんでした。お互いに「ナンデ!?」「どうして!?」と驚きながら離合します。
正真正銘の私が最後尾だと理解した瞬間でした。
こうなると私も意地です。初参加のお二人が完走して、私がDNFしようものなら先達の名折れ。PBPなぞ夢の先。
ギリギリでも構わない、泥くさくて構わないからゴールを目指すと気合が入りました。
見つからぬ記念碑
そこから少し進むと、ロードバイクギリギリ隊のグループとすれ違いました。
「結構わかりにくいよー!」
と教えていただきましたが、実際到着してから10分近く探し回り「写真が撮れなくてDMFか」と絶望したところで見つかりました。
急ぎ今来た道を戻ります。
まだ舞える!~通過チェック5(旧住友奔別炭鉱立坑櫓)
傾く太陽、回復する肉体
気温が下がり、直射日光が弱まると一気にパワーが戻ってきました。昼間の時間の低速が嘘のように脚が回ります。
美唄を離れて三笠市街に向かいますが、補給できる場所は殆どありませんし、時間的にもかなり厳しいというのは実感がありました。先ほどの補給と、朝から持っている補給食をじわじわと食いつなぎながら次を目指すことにします。
夕暮れの旧住友奔別炭鉱立坑櫓に手を合わせる
三笠の市街地に入ってから10㎞程奥へ、幾春別という美しい地名と何度も繰り返すアップダウンを粘りながら次の通過チェックを目指します。
この区間は往復3km程のすれ違い区間があるのですが、その区間に入っても一向にすれ違う気配なく、流石に他の参加者は速度を上げて余裕ゴールか、とまた少し悲しくなりました。
しかし、目標の500m手前で、ギリギリロードバイク隊とすれ違いました。
「おお!来てるじゃん!」
ロードバイクの人たちも、私がついてきていることに驚いているようでした。実際、先ほどの通過チェックよりも間隔が狭まっています。私の巡航速度が明らかに上がっているのです。
到着した通過チェック5旧住友奔別炭鉱立坑櫓は夕日に照らされてその巨体を輝かせていました。
芦別、歌志内、上砂川、美唄、三笠と炭鉱で栄えた市を回ってきました。間違いなく彼らにとっては歴史の一部であり、思いであるかつての賑わいの象徴なのだと感じ、思わず手を合わせました。
正真正銘のギリギリ隊~通貨チェック6(三笠鉄道記念館)
長大なトロッコ路線を見る
幾春別川を渡り、三笠鉄道博物館を目指します。もはや多少のアップダウンはありますが問題なく越えていけます。
途中、道の脇に軌道敷があることに気が付きます。どうもトロッコ列車のようです。
三笠鉄道博物館は、本州にいるときから耳にするくらいに内容が良いとうわさで聞いてはいましたが、まさかここまで長大な路線があるとは思いもよりませんでした。しかも、第4種踏切とでもいうのでしょうか、公道とまたがる踏切が平然と残されていることに驚きました。
三笠鉄道記念館の展示物に圧倒される
私が到着すると同時に、ギリギリロードバイク隊の皆様が駐車場を離れました。指さしてあれが写真撮るやつ!と教えてくれたのですぐにものがわかりました。
それにしても、保存してある車両は本州ではなかなかお目にかからなかった車両ばかりです。
以前住んでいた群馬県の碓氷鉄道文化むらも通っていましたが、1997年横軽廃線時には大量の車両を抱え込み貴重な資料となっていましたが、北海道の車両はさすがに輸送が難しく少なかったのかもしれません。
ここもまた訪問ですね。
最後尾異常なし!~ゴール(セブンイレブン岩見沢1条店)
※この時点で、メイン端末10%、サブ端末5%のバッテリー量でギリギリすぎたので写真がありません。
岩見沢市街に急げ!
三笠鉄道博物館は189㎞地点、時間は18時30分。
この時点で制限時間は残り1時間でした。11㎞とはいえ、岩見沢市街の「信号峠」が待ち受けています。
最後の補給食を食べ、少し喉を潤わせてラストスパートで走り始めます。
残り15分で到着!
岩見沢駐屯地を過ぎると本格的に市街地に入りますが、小さくない登り下りが連続します。
間に合うのか、間に合わないのか。しかし焦って事故でも起こせば可能性はすべて吹き飛ぶ。
そのようなことを考えながら走っていると、ゴールのセブンイレブン岩見沢1条店に着きました。
「おお!間に合ったじゃん!」
ロードバイク隊が私を見て声を上げました。私は拳を上げました。
時間は…19時15分。
岩見沢駅北口を出発して12時間余、酷暑の消耗を乗り越えのゴールです。
私の後ろには誰も走っていません。正真正銘のギリギリ隊です。
輪行で帰札も…
モバイルバッテリーを借りてゴール受付
ゴール受付に移動すると20人くらいの人がそこにいました。酷暑でスピードが挙げられず、ほとんどの人がこの1時間以内にゴールしたようでした。
「薄野200よりもきつかった」「最後のアップダウンはなんなん」「でも楽しかった!」
そういった声が聞こえていましたが皆さん楽しかったと笑っていました。
私はTさんにモバイルバッテリーを借りました。メイン端末がダウンしそうだったので給電しながらゴール受付で通過チェックの画像を見せることができました。ありがとうございました。
それぞれの帰る場所へ
全員がゴールしたことでゴール受付は解散となり、参加者はそれぞれに帰路につきました。
開始前はブロンプトン組で「終わったら三船でやきとり食べよう」「ほのかで仮眠して明日ゆっくり回る」などそれぞれにプランがあったのですが…誰が言うまでもなく「今日はやめましょう」と自然な流れとなり、それぞれに帰ることとなりました。
KSさんは走行中に落車されながらゴールしたものの、輪行で帰ることはやめた方がよいと周りから止められ、自動車で迎えが来ていたSさんと帰りました。
輪行で語らうブロンプトン3台
岩見沢駅付近は丁度祭りが行われていて華やいでいましたが、私たちは次の列車に乗ることだけを考えていました。
輪行で同じ電車になったのは4人ほど、うち3台がブロンプトンで、車両が空いていたこともあってゆったりと座って語らいながら帰ることができました。
KMさんの100㎞ベストの話、温泉に入って消耗したこと、Kさんがゾンビになりながらハイペースでついてきたことなどなど、やはり同じ修羅場をくぐると会話が弾みました。
Pちゃんの不調が本格的に…
札幌駅で別れて私たちはそれぞれ別の方向に帰ります。
自転車を組み立てて走り出すと、少し前から異変を感じつつあった変速の不調が一段とひどくなりました。
踏み込む足もないので2速でゆっくりと走り自宅に帰るも、これでは翌週に行われるBRM727トカプチ朝駆400に支障がでるなと感じていました。
自分でワイヤーのひき具合など調整してみても一向に改善しません。
そして翌日、南風自転車店に持っていくことになるのですが、この時はまさかPラインが走れなくなるとは思いもよりませんでした。
コメント
お疲れさまでした✨
初参加にして思い出深い一日となりました。
某店主に「ブルベでは地獄を見る事も…」と言われていた意味がわかりました…
またご一緒しましょう