初めての雨、バースト、そしてDNF!~2024BRM601函館300

ブルべ

 2024年6月1日に行われたBRM函館300へ参加してきました。結果は初めてのDNFという屈辱的なものでしたが良い経験ができたので記事にしていきたいと思います。

拡がる拡げるBBC

BRM525増毛300は4台が完走

 1週間前の5月25日に行われた増毛300では、日高門別で一緒に走った二人に加えて新たに2名がブロンプトンで走りました。一人は以前から乗っているフリークでしたが、もう一人はロードバイクからわざわざブロンプトンに乗り換えた方でした。

 2023BRM1008薄野200でのブロンプトンのゴールがあまりにも感動的とのことで今春からブロンプトンに乗っているという方でした。

 合計4台のブロンプトンが無事に完走し、風がまた吹いた一日となったと感じています。

私は函館300で脚だめし

 私も増毛300にはエントリーこそしていましたが、仕事が急に割り込んだためDNS(DNS:Do not starting: 出走せず)していました。

 幸運にも翌週は外出できそうだったので、函館300で遠征ブルベを計画し、準備を進めていました。

特急輪行で函館へ

点検・準備は万端だが…

 装備の準備で重視したところは雨対策です。増毛300のときも気温が高いとは言えず、もし参加していても雨で濡れていたら走りきれるか怪しいと踏んでいました。

 モンベルのサイクルレインウエア上下は常用です。

 今回から加わった装備としては

・ヘルメットにかぶせるバスキャップ

・非常事態時に使うツェルト

 が装備に加わっていました。

 車両の点検は各部の締め、ブレーキの機能、注油、空気の調整を行っていました。

 予備部品はタイヤのチューブ一つ。複数回のパンクが会ったとしても、交換とリペアを繰り返せば良いと考えていました。

 準備の際は、まさか自分がマシントラブルでDNFするなど考えてもいませんでした。

終電特急で快適な輪行

 5月31日、仕事終わりと同時に荷物を掴んで札幌駅に向かいました。

 息をするように輪行し、函館行き最終特別急行、北斗22号に乗り込みました。

 今回は終電ということもあり空いていたので荷物置き場に自転車を置いておきました。しかし鹿による急ブレーキで途中で倒れていました。

 今回も28Lの純正バッグを装着して行きました。まあこれしか持っていないのですが。数日の荷物であれば、このバッグで丁度よいです。

ホテルの部屋で最終準備

 函館に到着して宿に向かいました。今回の宿は東横イン函館駅前朝市です。到着すると既に何台かの自転車がロビーに置いてありました。

 私はブロンプトンを折りたたんで、チェックインしたら、そのまま転がして部屋まで持っていきました。これはフルサイズに比べたら圧倒的な強みです。

 ブルべ当日も部屋で全ての装備を整えてから部屋から出てこれるので楽でした。

初めて尽くしの函館300

雨の函館の街

初めて函館の街を走る

 6月1日は6時頃にホテルを出発しました。実は函館に宿泊するのは初めてです。

 函館は、これまでは私にとっては乗り継ぎの場所でした。新幹線はもとより、終電で到着したらそのままフェリーに乗ったり、その逆で始発にフェリーで間に合わせたりということは何度も行っていました。

 少し自転車で走るだけで、この街が他の北海道の街に比べると旧い街だということが理解できました。

 街の碁盤の目が方形でなく、神社も本州式のところが多いです。海峡の雰囲気も相まって、どことなく本州の港町の雰囲気がある街なのだと理解できました。

青函連絡船「摩周丸」

一人BBC

 15分ほどで出走・ゴールの元町公園に到着しました。エントリーは増毛の半分以下の29名、既に何人かDNSを決めているようで、実際は25人以内くらいだったと思います。

 残念ながらブロンプトンは1台だけでした。私のことをみて「先週の増毛の」と口にする人もいました。段々と北海道内では「ブロンプトンでブルべに出る人たち」の知名度と存在感は増しているようです。

スタート受付の元町公園。

初めての雨ブルベ

 深夜から明け方に降った雨は、開始時間になっても霧雨程度ですが降り続いていました。車両点検を終えた車両から、順調に坂を下り市街地を東に抜けて抜けていきます。

 ブリーフィングの際に、雨は朝だけだろうとみんなで話していましたが、一向に止まずむしろ強くなっていきました。

 初めての雨のブルべです。洗礼を受けたと私は感じながら走っていました。

 ブルべは災害級の天候災害や混乱がない限り実施されます。それゆえに、ロードバイクであったとしても泥除けをつけたり、寒さや濡れへの対策なども行っているのです。

 私の装備も十分で体温を保持しながら走る余裕はありました。

スタート・ゴール地点の元坂

廃線を発見!?

 1時間ほど走り市街地を抜けると、海沿いの道を走ることになります。このまま一直線に恵山のふもとのCP1まで走るのです。

 ふと街路から上を見上げると、切通しと橋台が見えました。明らかな鉄道の構造物の跡です。

 以前、未成線として五稜郭駅から東に延びる路線があったことを思い出しました。

 そこから少し走り川を渡ると、コンクリート橋脚が3本川の中から生えていました。わずかに残っていた疑念が確信に変わりました。

 少し写真撮影して進んだ矢先、その時は来たのです。

未成線の跡らしい

初めてのブルベでのパンク!

 パンっ…!

 軽い破裂音がしたので停車すると、後輪のタイヤの空気が抜けていました。空気圧は前日にしっかりと入れていましたから、最初は原因は分かりませんでした。

 このチューブでは複数回のパンクを経験していたため、新品のチューブに取り換えることにしました。

 ブロンプトンのハブはボルトナットで固定されています。一般的なシティサイクルと一緒です。スポーツサイクルに多く採用されているクイックリリースがないので外すのが手間です。

 雨で泥と砂だらけになった車軸を力を込めて外し、さらにタイヤを外しました。チューブの接地面側ではなく、リム側に近い場所にパンク跡があり、とくにリムの内側にごみ等は入っていなかったので、原因がわからないまま再び組付けていきました。

一番雨が激しい時にチューブ交換する羽目になる

エアポンプが壊れてる!

 エアポンプを取り出して空気を入れようとしたときに、空気が入らないことに気が付きました。仏式のほうは年越し宗谷の時にも使用していたので、まさか米式のほうが機能していないとは考えてもいませんでした。

 しかし意外と冷静で、1㎞ほど手前にガソリンスタンドがあったことを思い出しました。米式バルブは自動車と同じです。

 現在の時間は8時前、たぶん空いている。

 私はブロンプトンと歩き始めました。

ガソリンスタンドで空気を入れる

 ガソリンスタンドに10分ほどで到着し、空気入れを依頼すると快く入れてくださいました。ありがとうございます!!

 日本一周の動画を見ているとよく見る光景を私がすることになるとは思いませんでした。

 空気を入れてもらって、最終調整をしようとしたときに異変に気付きました。

 リムの淵からチューブがはみ出しているのです。

空気を抜いた後のタイヤの様子。わかりにくいがバーストしている

初めてのタイヤバースト!

 泥まみれになっていて気付いていなかったのですが、タイヤの付け根部分が裂けていたのです。

 タイヤバーストです。

 予備タイヤを持っていなかったので、打つ手なしでした。

初めてのDNF!

 Do not finished_いわゆるDNFという状態に私はなりました。ブルべが完走できなくなったときには管理者に連絡をしなければなりません。

 出走番号や氏名、DNFの場所や状況をメールで伝えました。

 走行時間約1時間、10㎞で私の初めての300kmブルべは幕を閉じたのでした。

廃線跡を歩いて湯の川へ

橋台だ!

未成線、戸井線

 あとで調べなおしましたが、私の見つけたこの線路の痕跡は戸井線というものでした。大東亜戦争時に津軽海峡の防衛のために要塞化された渡島半島内での兵員輸送のために計画された路線でした。

 路盤が9割完成しており、戦後も何度か活用される案があったらしいですが、結果としてそのまま破棄されたということでした。

殆どは公道に転用されたようだった

休憩中のエピソード

 帰り道の休憩でコンビニに寄り、おにぎりを口にしているときに、ふとさみしい気持ちになりました。

「機材トラブルさえなければ走り切れただろう」

「そのトラブルに対応する装備がなかったのが敗因だ」

 頭文字Dで拓海のハチロクがエンジンブローしたシーンを思い出し、こういう気持ちだったのかもなとアンニュイな気持ちになっていると、一台のハチロクが横の裏道をゆっくりと走っていきました。

 このような偶然はあるのだろうか。

 いや、思えば偶然の連続だった。

 二日前も昨日も自動車に轢かれそうになり、何か起きるかもと予想していたこと。

 10㎞地点でタイヤがバーストしなければ、エアポンプの不調にも気づけなかった。

 もっと辺鄙なところでDNFしていたら_

 今回の一連の流れは運命的に仕方なかったのかもしれない。

 このブロンプトンが私を守ってくれたのかもしれない、と腑に落ちました。

初めての函館市電!

函館市電で中心部へ戻る

 湯の川駅に辿り着いた私は、さっそく折りたたんで路面電車にのりました。

 この手軽さは他のブルべ参加車両にマネできるものではありません。

 市電から見る街の景色はどことなく本州を思わせるもので、少し懐かしい気持ちになりながら中心部に戻りました。

走行不能の可能性を甘くみた

思い返せば一番長距離を走っているのがブロンプトン

 ブロンプトンを手にしたのは2023年の2月のことでした。

 それから1年4カ月余り、輪行をしながら四国を旅し、小金湯を往復し、ブルべに出るほか旭川~稚内を走るなど、よくよく考えると3000㎞近く走行していました。

 これは私の保有していた自転車すべての中で一番長い距離を走ったのがこのBROMPTON P Lineとなっていたのでした。

 タイヤがパンクするのも納得です。

ブロンプトンのタイヤは売っていない

 市電で函館に戻った際に、SURLYなどを取り扱っている自転車屋さんがあったのでタイヤを求めに立ち寄ってみましたが駄目でした。

 普段は札幌にいるから意識していませんでしたが、北海道ではブロンプトンを売っているお店は2店舗しかないのです。

 DAHONやternの16インチとはサイズが違いますから、つまり札幌や旭川でしかタイヤは買えないということになります。

次のブルベを目指そう

純正のラックバンドも、帰り道では有効活用できた

タイヤ以外の機材は全て正常に作用した

 今回のブルべを振り返ると、タイヤがバーストしたこと以外の機材はすべて順調に働いてくれました。

 雨だけでなく体温の保持に役立ったmont-bellのサイクルレインウェア

 つば付きのgiroのヘルメット

 純正でも使われているcateye AMP500と年越し宗谷でも活躍したVolt400

 cateyeとbrytonの二つのサイクルコンピューターは速度計とGPSナビで使い分けることができました。

予備部品の量は走り切る意思

 予備部品や工具はなるべく減らしたいものですが、結局その量の多さは走り切る意思そのものだと今回のブルべで理解しました。

 増毛300でもチェーンが切れながらも修理して完走した人がいました。日高門別200ですら交換用のタイヤを持ってきている人もいました。

 重い電動ポンプは時として他の参加者を助けることもあるでしょう。

 私に足りなかったのは「自転車案内人」としての予備部品や工具の量だったのでした。

次は400km、獲得標高は4000m超

 直近で挑戦できる300㎞ブルべはもはやありません。

 私に残された選択肢は8月まで300㎞を走らないか、BRM622積丹400を走るかです。

 積丹400は獲得標高4000m超とかなりのアップダウンがあるブルべです。今年のコースは昨年に比べるとやや坂はマイルドなのですが、それでもこれまでのブルべの中では一番登るものになるわけです。

 臆していた心は、今回の挫折で逆に勢いづきました。

 次の積丹400は出走したい、走り切りたい。そう考え準備を今も進めています。

初めてのハセガワストアの焼き鳥弁当はDNFの思い出と共に

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