BRM薄野200の残響
人生で初めて一日に200㎞を走行したブルべ「BRM1008薄野200」は、私の価値観を大きく塗り替える結果となりました。
自転車を駆使し、それなりの準備をした人間というのは信じられない程遠くへ行くことができると実感しました。
そして、高揚した気分はもっと走ってみたい、自分を試してみたいという欲求へ変わったのです。
かくして私は、晩秋の道北、旭川から稚内・宗谷岬へ、約250㎞の長距離行を行うことにしました。
もともと年末には勤務等の調整が許すのであれば、自走で宗谷岬に行こうとしていたので、そのルートの偵察も兼ねています。
DAY1 輪行で旭川へ、やはりすごいぞブロンプトン
特急出発10分前に札幌駅に到着!でも乗れちゃう
初日は夜勤明けでした。昼過ぎに出発しようとしていたところ、職場のごたごたに巻き込まれ外出が遅れてしまうスタートでした。
特急列車指定席をネット予約していたのですが、変更をするか迷いながら札幌駅に到着したのは、出発なんと10分前でした。それでも、ブロンプトンを30秒ほどで折り畳み、券売機で発券し、予定の列車に乗ることができました。
こういう芸当は、車輪とフレームを分解した輪行がしやすいロードバイクでも難しいです。
なお、この時、クレジットカードと現金の入った財布を社宅に置き忘れ、3日間苦労することになったのは後々語ります。
特急列車では車両中程の席でしたが、問題ありません。少し狭いですが、足元に置いておける大きさなのです(隣に人がいると少し辛いですが)。
駅から数キロの移動も楽々
旭川駅から数キロのインターネットカフェが宿です。
歩けば1時間はかかりますが、自転車なら15分程度です。
インターネットカフェの個室にも収まる
ご覧の有様でございます。インターネットカフェの個室の僅かな隙間に入り込めました。快適に走れる折りたたみ自転車の中でも、ブロンプトンくらいしか許されぬ芸当です。
DAY2 晩秋の道北と初めての駅寝
国道40号を北に~塩狩峠へ
早朝、5時頃にインターネットカフェを出発し北へ向かいます。
今回走るルートは名寄や豊富の一部区間を除き、旭川を起点として稚内を終点とする国道40号線を走ることになります。
理由としては、冬期に自転車で稚内を目指す場合に、最悪のトラブルとして肉体や機材に不具合が生じて走行不能状態になる場合があり、その際に使える公共交通手段がJRしかないということが挙げられます。
国道40号線は、ほとんどの区間でJR宗谷本線と並走しており、本数こそ少ないとはいえ、もしもの際は輪行が可能であるというメリットがあります。
また、沿岸のオロロンラインに比べると集落の間隔が狭く、やはり何かあったときには助けてもらえる可能性が高まります。尤も、人口が多いということは自動車も多いということなので、交通事故のリスクも高まるわけなのですが。
旭川の街並みはすぐに途切れ、朝日が昇るのを右手に見ながら走っていきます。朝もやが立ち込めているのかと思いましたが、早朝にもかかわらず、野焼きをしているようでした。
本州だと禁止なところも多いのですが北海道は大丈夫なのですね。
比布のトンネルを抜けるとその匂いは消えました。
比布から名寄に向けて走っていくと塩狩峠に差し掛かります。群馬の凶悪な峠たちに比べれば全然楽な坂ですがまあまあ交通量がありました。雪で倒れ掛かっていると思われるバス停が冬の厳しい気候を予想させます。
旭川から約30㎞、塩狩駅に到着しました。
石碑を読むまで知らなかったのですが、やはりこの場所も例にもれず鉄道の難所であり、脱線事故が起きた際に身を挺して被害の局限を測った人がいたということでした。
いつの時代も小さな英雄がいるものですね。
塩狩駅は今では普通列車しか止まらない小さな駅ですが、どうもソメイヨシノがたくさん植えられているようでした。春には快速列車を臨時停車してお花見を楽しむ人が多いとか、また訪問したいですね。
北の要衝名寄へ
塩狩峠を下り、次の街へと向かいます。数時間に一回、汽車が走っているのを見ながら順調に走っていくので写真は少なめです。
休憩ポイントは剣淵のセイコーマートでした。驚いたことにもうサイクリストなどほぼ射ない時期にもかかわらずサイクルラックがあったことです。ここから先の道北地域でもほとんどのセコマに設置してあったので自転車に優しい地域だなと感じました。
名寄市街地郊外の道の駅なよろにて休憩しました。ここでは電子決済が使うことができたので、地元の名産物をいくつかいただきました。
森のしずくという、白樺の樹液を採取したものがあり初めて飲んでみました。砂糖とも違う不思議な甘さがあり面白い飲み物でした。
名寄市街を抜けたあとは、少し国道40号を外れて県道252号を北に向かいます。
理由としては、国道40号がバイパス化し、大きく宗谷本線沿線を外れることから交通量が多くなることが予想されるからです。
県道252号線は東雲峠を越えていきます。塩狩に比べると急峻ですが、坂は短いのですぐに終わります。下りきると、再びの農耕地帯の始まりです。
美深の街を抜けると段々と左右の山が迫ってきます。平野が少なくなっていくのです。下り勾配ですがこの先は山岳・渓谷区間であります。
道の駅びふか・チョウザメ館に立ち寄る
美深の平地の終わりのところに、道の駅びふかはありました。キャンプ場や温泉施設のあるところで以前から興味がある場所でした。
休憩中にチョウザメ館というものがキャンプ場内にあると知り、行ってみることしました。
どうしてこのような場所にチョウザメの施設があるのかと言うと、現在でもこの場所でチョウザメの養殖が行われているからでした。
200年ほど前には野生のチョウザメも天塩川流域にいたらしいですが、環境の変化により絶滅した後、過去にチョウザメがいたことを知る人たちが養殖をして成功しているとのことでした。
キャンプ場脇には天塩川の三日月湖があるのですがそこが養殖の場所とのことで、美深の歴史の一つを知りました。
神の路を征く
美深をすぎると山々の隙間を天塩川に沿って走るような感じになります。
時刻は14時頃ですが山の手に日がかかり、少し日陰が多くなるような場所が増えてきます。
次の休止点は道の駅「おといねっぷ」です。漢字で書くと音威子府です。読めますか?私も最初は読めませんでした。
音威子府駅の駅そばは黒く有名でしたが、数ヶ月前にいよいよ駅での販売を取りやめることなりました。その際に記念に食べに来て以来の訪問になります。
音威子府を出発すると神路渓谷に差し掛かります。
時刻は15時を回り、日が傾いていくと、東側に見える斜面が照らされていきます。トワイライトタイムには少し早いですが、晩秋の散り始めた紅葉が鮮やかに浮かび上がります。
路肩の休憩施設に足を止め写真を撮影していると、遠くからリズミカルに何かを叩く音が近づいてきました。今度は下りのサロベツ号が稚内に向かっているようで、鳴らした汽笛は渓谷に響いていました。
その後中川町あたりで日没を迎えましたが問題が一つありました。
予定のキャンプ場に宿泊できない!
旭川行きの列車の中ですでに分かっていたことではありましたが、宿泊予定のキャンプ場は町営でした。支払方法について問い合わせてみると、やはり現金以外は受け付けてくれないということで、やむなくキャンセルすることになりました。
ではどこに宿泊するのか?
北海道に大量にある無人駅です。
まだ18時には完全に空も暗くなりましたか、中川町からその先に進んでいきます。街灯はほぼなく、通り過ぎていく車も稀です。
宗谷本線には7回ほど乗っていますが、その中でも比較的立派だったと印象のあった駅を目指します。
雄信内駅に到着しました。到着してしばらくすると終電が稚内に向かって行きました。明日の6時頃まで汽車はきません。
建物あり、電気もついてる。言うことなしの最高無人駅です。
電気がついているおかげで虫たちが隙間から室内に入るのか、虫の死骸だらけで掃除が必要だったり、ヒメネズミのようなものが排水口と壁の隙間を行き来していたりとイベント盛りだくさんでしたが無事に一夜を過ごしました。
DAY3 宗谷岬は諦めるも、手ごたえあり!
朝もやの豊富町で廃駅に出会う
やはり電気がついていたこともあり眠りは浅く、何度も途中覚醒しながら眠っていました。早朝5時に起床し、すぐに荷物をまとめ、昨日のうちに購入していた朝食を採って出発です。
雄信内駅から県道256号を北に小さな峠を越えると牧草地が広がっていました。昨日も南に向かうセミトレーラーは牧草の束をいくつも運んでいましたが、それはこの地域から来ているようでした。
道を進んでいると傾いた安牛駅の看板が残されていました。駅メモやテクテクライフという位置情報ゲームを利用している私には、この駅が廃駅であるとわかります。
しかし、廃駅にもかかわらず標識を残しているのには理由があるのではないか?そう思った私は立ち寄ってみることにしました。
信じられないことですが、駅舎と駅名標がJRの敷地から少し離れた場所に設置してあります。周囲は整地されて砂利が敷き詰められていますから、確実に人為的な措置です。
更に驚いたのは、旧駅舎の車掌車の中に立ち入ることができるということでした。シングルベッドサイズくらいのウッドデッキが増設され、駅ノートが置いてあり、訪れた旅人や地元の管理をしている人のコメントに触れることができました。
調べてみると幌延町は無人駅跡地を保存する運動を行っており、有志が保存された駅舎を保全し、イベント等に使える体制を整えようとしているようでした。
北海道の人口希薄地帯では廃駅になるペースが増大しています。ここ宗谷本線では特急停車駅以外は廃駅になってもおかしくない勢いです。
廃駅になるのは仕方のないことですが、行政と市民が連携して何かしらを残そうとしている姿勢は良いと感じました。
バイパス区間の側道と休憩施設
幌延の市街を抜け、県道121号を更に北に向かいます。目指すは豊富温泉です。
今年の冬は宗谷岬に到着するまでに何日間走るかはわかりませんが、少なくとも1日はここ豊富温泉にて一泊してから翌日に宗谷を目指す計画でいます。
北の温泉地を予習してから、豊富中心街を経て、再び国道40号を北上します。
このエリアは無料高速がバイパス区間として走っていますが、それが合流すると国道40号には側道が現れます。
この側道もあくまで補助的に付け加え、交通標識としての義務はなく、中央の道を自転車や歩行者が進行しても問題ないとのことです。
しかしながら積雪で幅の狭くなった道路を走るよりは、冬でも除雪されているらしい側道をゆっくり走るほうが精神衛生上良いのかもなと感じながら走りました。
豊富市街と稚内の概ね中間に位置するのが開眼パーキングエリアです。そして都市間唯一の休憩・補給ポイントでもあります。
音威子府ー中川の区間も自転車にとっては過酷な区間ですが、豊富ー稚内では風雪を防げるこの施設は助かります。
大型のスノーシェッドは、時折発生する地吹雪には自動車であっても退避が必要ということでしょう。もしそういうときは私も利用させてもらうことになるはずです。
最北の市へ
更に国道40号を北上していきます。丘陵地帯が続くので登ったり下ったりを繰り返しながら走っていると、電波塔が投句に見えました。
電波塔の脇まで来るとそこは最後の峠でした。
遠くに藍色の水平線が見えます。オホーツク海です。稜線の向こうには稚内の百年記念塔が見えました。
見覚えのある建造物が見えると一気にテンションがあがりました。
そのまま下り勾配の道を一気に駆け下りて稚内市内に突入です。概ね旭川から200km、補給物資もほぼなかったので、行こうと思っていたお店に行きました。
日本最北のマクドナルド稚内40号店にやってきました。写真の通りドナルドが看板の脇に24時間365日鎮座し、真冬には雪像と化すそうです。
メニューはもちろん特段変わったものでは無いのですが、最早観光名所となっているのです。
食事を取りながら少し考えます。帰りの汽車が13時発で今は10時過ぎです。ここから宗谷岬は往復60kmですから余裕がありません。
そのため、近くを散策して帰ることにしました。
旅はまだまだ続く
結果から言うと宗谷岬までを走ることはできませんでしたが、旭川から稚内までの250kmを2日間で走ることができました。
稚内から宗谷岬については何度か走ったことがあるので真冬でも問題ないでしょう。
ブロンプトンという自転車の輪行能力、走行能力の高さ、そして自身がそれを表現できたことが何より楽しい2日間でした。
来年もブロンプトンでブルベを!その前に、ファットバイクで宗谷へ!挑戦してまいります。
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